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2007年 08月 11日
むちゃくちゃ暑いので、風の通り道を探して寝ころがって本を読んでるしかない。それもややこしいのはだめだ。というわけで、なぜかチルチル、ミチルがぜんぜん登場しない『ちるちる・みちる』という本。 著者のポチオってめずらしい名前だなと思ったら、表紙に「山村暮鳥童話集」と書いてあった。大正9年洛陽堂刊を昭和49年にほるぷ出版が復刻したもの。 「名著復刻・日本児童文学館」というこのシリーズは300円から500円くらいでよく古本屋に出ている。↓こんなモダンな挿絵がついているが、画家の名前はない。 これがとても面白いのだ。「お芋の蒸(ふ)けるのを、子ども等(ら)と楽しく一(いっ)しょに待ちながら」などという著者まえがきがあるので、ほんわかしたやさしい童話集かと思えば、どれもこれも厳しく辛辣で、ブラックなコント集といった感じなのだ。たとえば「雑魚の祈り」という6行ばかりの短いお話。 長らく日照りが続いて沼の水が涸れそうになったので、雑魚たちは心配して山の神様に雨が降るまで断食を誓って熱心にお祈りする。その祈りが通じたのか、やがて雨が降り出す。しかし、「その雨のふらないうちに雑魚はみんな餓死しました。」おしまい。 すごい……。つばめのお母さんは子つばめに、これから出かける渡りの旅では弱いものが途中で海に落ちて死んでしまうが、助けている余裕はない、「誰も彼も自分独りがやっと」なので、「薄情のようだが自分自分です。自分だけです」、生きていくにはそうするしかないと教えるし、鳩に捕まった羽虫が「世間では、あなたのことを愛の天使(みつかい)だの、平和の表徴(シンボル)だのって言ってる」のに、何の罪もない私を食べてしまうのかと抗議すると、鳩はこう答える。「なるほど、或(あるひ)はそうかもしれない。けれど自分は飢えている。それだから食べる。これは自然だ、また権利だ」 「えっ!」 「何もそんなにおどろくことはない。それが萬物の生きている証拠さ。」おしまい。 あまりに面白いので、ぜんぶ紹介したいくらいだが、あと二つだけ。次は「木と木」というお話の全文で、わずか4行。 老木「こんなに年老(と)るまで、自分は此の梢で、どんなにお前のために雨や風をふせぎ、それと戦ったかしれない。そしてお前は成長したんだ」 若い木「それがいまでは唯(ただ)、日光を遮るばかりなんだから、やりきれない」 う〜ん、こういうのを読んで、大正9年ごろの子どもは何を思ったんだろうか? この童話集では恩知らずの口をきいたって意地悪をしたって、罰があたったりはしないのである。それが人生であり、自然の摂理なのだから。たとえば「口喧嘩」というお話では、まくわうりが畑でさんざんかぼちゃをからかっている。 「よぉ、おむかうの菊石顔(あばたづら)の若だんな。おほほほほ。なにをそんなにお鬱(ふさ)ぎなの。大抵で諦めなさいよう。いくらかんがえたって、みっともない。第一そのお面じゃはじまらないんだから」 醜男のかぼちゃは真っ赤になって怒るが、気のきいた悪口を言い返せない。まくわうりはくすくす笑っている。 「南瓜はくやしくって、くやしくって、たまらず、その晩、みんなの寝静まるのを待って、地べたに頬(ほっぺた)をすりつけて、造物主(つくりぬし)の神様をうらんで男泣きに泣きました。」おしまい。 う〜む。なにか深く考えさせられる。
by Kcouscous
| 2007-08-11 21:52
| 製本/本
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Comments(18)
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ars_maki at 2007-08-11 23:23
素晴らしい童話集ではありませんか!?
挿し絵も素敵ですね!! 童話ないし児童文学は大人になるためにヴァーチャルに大人の 世界の厳しさを教えたり、まだ気がついていないだろうが、実は きみ(たち)にはこんな恐ろしいことが起こるかもしれないのだよ などと心の準備をさせるとも言われています。 まぁ、子供は案外大人びているところがあり、世知辛いことも しばしば見ているし、「大人」にもなれるのですよね。 大人の前で子供を演じるのは、そのほうが役得が多いからでしょうね。 まぁ、戦後は大人が子供化しておりますので、このヤマムラ・ポチオこと 山村暮鳥のこの一冊はお薦めではありませんか!?
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bongsenxanh at 2007-08-12 01:27
なんだか、一時期流行った『大人のための残酷童話』みたいなお話ですねー(^^;) 昔の日本のこういう子ども向けの本って、結構怖いものとか不条理なものとかが多いですよね。
でも考えてみればルイス・キャロルの『アリス』だって、なかなかに残酷だったりするし...ほんわかした子ども向け絵本が登場したのって本当にまだごく最近のことなんでしょうねー。
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Kcouscous at 2007-08-12 11:05
*ars_makiさん
確かに子どもの世界も案外厳しいですから、むしろ甘ちゃん大人が人生の厳しさをあらためて知る一冊なのかもしれませんね。 でもこの本、えっ、それで終わりかよ?! というか、オチがわからない、シュールな感じのお話も多いのです。それが面白いところです。
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Kcouscous at 2007-08-12 11:17
*ふえさん
ほんとにそうですね。最近はどんどん毒気を抜かれて、当たり障りのない、ほんわか綿飴みたいなものばかり出版されるようになってますよね。 そこにいくと、この童話集はまったく「政治的に正しくない」本です(笑)。いまだったらあっという間に削られてしまう言葉や書き換えられてしまうストーリーばかり。そうやって人や文化はどんどんひよわになっていくんですよねぇ〜。
挿絵は確か小川芋銭だったと思います。自信はありませんが。「木と木」や「口喧嘩」の外人風の顔の挿絵の感じは岸田劉生の「かちかち山と花咲爺』の挿絵と似ていると思いましたが、デューラーが描く顔にも似ていますね。「耳を切った兎」の挿絵もすごいですね。1枚の絵でストーリー全体が伝わってきます。
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Kcouscous at 2007-08-14 01:31
さすがですね。ありがとうございます!
デューラーの銅版画の感じというのは、すごくよくわかります。兎は不気味の一歩手前だし、「茶店のばあさん」も、きものを着ているのにとても日本人には見えなくて面白いですね。「ちるちる・みちる」の字体もいい感じ。 ひげっちさんたち古書マニアの楽しみがちょっとわかる気がします。
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のどぼとけ
at 2007-08-17 02:18
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SMUSさんあたりがコメントされるのを待っていたんですが、この装丁と挿絵は久世勇三です。
ひげっちさん、芋銭とは画風が違うと思います。 ボチオが仙台等での伝道師の仕事をやめて結核の療養中に30代に書いた遺作ではなかったでしょうか。 ボチオがたいそう優しい心で死に対峙していた頃の作品ですね。
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fo-rey at 2007-08-17 08:01
面白い本を紹介していただきました。いまはうわべの優しさが氾濫する世。こういうおもしろさ(残酷さ)も,あるんだって,正直なところだろうと思います。でも,本の形や挿絵って,楽しいですよね。挿絵を見るだけで得した気分になれます。
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Kcouscous at 2007-08-18 11:19
*のどぼとけさん
ご教示ありがとうございます。いっしょに買った本に宇野浩二『赤い部屋』があり、久世勇三の装幀・挿絵となっていました。この絵とはちょっと感じが違うような気もしますが、何しろ古本の世界は奥深い! ボチオは日本聖公会仙台基督教会に勤めていたんですね。私は無知の塊の仙台人なので、これからボチオさんのことを少し調べてみようと思います。
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Kcouscous at 2007-08-18 11:22
*fo-reyさん
「うわべの優しさが氾濫する世」って、本当ですね。薄っぺらな感動とか。 この「ちるちる・みちる」は青空文庫のウェブサイトでも読めますが、やっぱり紙の本の形や挿絵は楽しいですよね。
シュールレアリズムは文学から始まったと聞きましたが
まさにそのようなシュールとブラックユーモアと 世の習いが見事な文学作品ですね。 なんとなく、稲垣足穂を思い出してしまいます。 ちょっと全部読んでみたいなぁ〜。
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Kcouscous at 2007-08-19 22:50
*mineさん
ふむ、タルホさんですか。 あ、残念ながら挿絵はありませんが、『ちるちる・みちる』全編のPDF版を次のサイトからダウンロードできます。 電子ファイル作成者による「差別語」なんたらという付記がつまらないですけど。 http://homepage3.nifty.com/yamabuki-h/bocho_top.html
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のどぼとけ
at 2007-08-21 11:12
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確かに目次にも奥付にも久世勇三の名の記載はなく、y.k.とかユ三のサインもないのですが、古書の世界では勇三装ということになっております。ご指摘の「赤い部屋」と自著「のどぼとけ」の三冊しか確認できていない謎の人物です。
この童話集はシュールレアリズムとは正反対ですし、当然ブラックユーモアとも言えないと思います。 ましてや、稲垣足穂さんとは何の接点も見出せません。 素直に童話集として読むべきものでしょう。 「童話」というものは本来残酷なものです。 わたくしも子供の頃、妹を寝かしつけるのに短い「お話」をたくさん作りました。 毎晩のおはなしは、まことに残酷な内容だった記憶があります。 恐くなった妹が泣き出して、母にしかられたことも幾度もありました。 ボチオも妹のために書いたと聞いてなるほどと合点いたしました。 それにいたしましても、電子ファイル作成者による「差別語」なんたらという付記には、こちらの方が不愉快になりました。
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Kcouscous at 2007-08-21 15:09
「差別語」なんたら……やっぱりそう思われましたか。
ああいう瑣末なことにこだわる偽善的な「言葉狩り」のような風潮は、ほんとにいやですね。 前に手塚治虫の『火の鳥』の新装版を見たとき、やたらに「この精神障害者め!」という台詞が出てくるので、とても奇異な感じを受けたのですが、これ、原本の「キ○○○め!」を単純一律に言い換えてるんですよね、きっと。 それにしても毎晩、妹さんを寝かしつけるのにお話をして泣かせたというのには笑ってしまいました。妹さんは、きっといまでもそのお話の一つひとつを克明に覚えておられるでしょうね。
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mine
at 2007-08-24 10:37
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のどぼとけさん、ここで紹介されている一部を読み、日記としての感想を述べました。私の見識の甘さ偏ったものの見方があったことと思います。
しかし、感じたまでを述べただけです。 全否定、ありがとうございました。 >素直に童話集として読むべきものでしょう。 >「童話」というものは本来残酷なものです。 私もそう思って読んでおります。 Kcouscousさん この場で、不適切なコメントのようでした、お許し下さい。 作品読みました。ありがとうございました(^_^)
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at 2007-08-24 11:05
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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Kcouscous at 2007-08-24 21:58
おぉ、ノープロブレム! ここでは「不適切なコメント」などありませんので、ご心配にはおよびません。みんな思っていることは自由に言って、どんどん意見を闘わせましょう。
「おい、ここはどこだい?」 「K's boot camp!!」
のどぼとけさん、訂正コメントをありがとうございます。芋銭も暮鳥も私の古里ゆかりの人物で、牛久沼の芋銭宅を訪ねたりして交流もあったので、この二人の共同作品であったらいいのにな、という希望も込めての推察でしたが一蹴されてしまいましたね。
画風……ということから推察すると、この洋風な顔はほるぷの復刻版にもある岸田劉生が挿絵を描いた『かちかち山と花咲爺』とも似ているように思えます。『ちるちる・みちる』の挿絵・岸田劉生説を推察構築するのも楽しい古本の楽しみ方かもね。 仮説をたてて完全に反論否定されるか認証されるかはっきりと結論が出るまでの不安の中をさまよっている期間が一番面白い。
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