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2025年 10月 31日
![]() ![]() 改札口を出ると、これぞ秋田というべきものがぜんぶ並んでいる。白いかっぽう着姿の壇蜜が宣伝する新米「サキホコレ」のポスターがあちこちにあった。 着いてすぐ稲庭うどんの店に直行する。カツオ出汁と白胡麻みその二味で食べる稲庭うどんは冷たくて喉越しがよくて腰があり、感動的においしかったので、目的の宇野亜喜良展に行く前からせっせと乾麺を買い込む。 展覧会は、画家の活動の幅の広さと長さ(なにしろ91歳で現役なのだ)を反映して膨大な量の展示物があり、寺山修司と盛んに仕事をしていた天井桟敷の頃の懐かしい作品から資生堂のポスター、今江祥智と何冊も出した抒情的な絵本、演劇の舞台装置やポスター、時代小説の挿絵シリーズまで山のようにあった。 宇野亜喜良というとツィッギーのような(古い^^)痩せた病的な女の子の絵しか思い浮かべない人が多いかもしれないが、このひとは画風をひらりひらりと自由自在に変えることができるし、何だって描けるのだ。「ぼくはへいたろう」という絵本の原画が展示されていたが、試作として同じ物語の同じ場面をがらりと画風を変えて4種類くらいも制作しているのが面白く、呆れた。チャンバラをしている侍の絵など、動きとスピードの描写力に感心する。 市立美術館から5分ほど歩くと秋田県立美術館があり、戦前に藤田嗣治が豪商・平野政吉の蔵に描いた巨大な壁絵が収められているので、それも見に行った。 県立美術館のカフェでひとやすみ。窓の向こう側に千秋公園の入り口が見える。この翌日ここに熊が出て、この入口に規制線が張られてパトカーが停まっている映像をニュースで見てびっくりした。今年は本当におかしい。こんな駅前の公園にも熊が出るなんて! 昔からある素朴な銘菓「金萬」を買って帰りのこまちに乗る。金萬はキティちゃんとのコラボ商品になっていた。 秋田新幹線は在来線を走っていて単線のところもあり、途中、スイッチバックで進行方向が逆になったりする楽しい線だったが、列車のスタイルは未来的な流線型でかっこいい。すっかり暗くなった秋田駅を発つ。 #
by Kcouscous
| 2025-10-31 23:15
| 旅
2025年 10月 15日
![]() 市立図書館が入っているメディアテークに行ったら、一階のオープンスペースが「マンガテーク」というのになっていた。18歳以下なら誰でも何時間でもここにいて、自由に漫画本を借りて読める期間限定の企画らしい。 ちょうど館長のロバート・キャンベルさんが来ていて、メディアの人たちといっしょに子どもにインタビューしているのが見えた(上の写真の中央奥)。このかたは興味の範囲というか、活動領域が実に広い。 上階から見ると、クッションはビニール袋に切り刻んだ紙を詰めたものであることがわかる。しばらく前まで「紙ゴミ・プロジェクト」と書かれた箱がここにあって、使用済みや不要な紙を回収していたが、これを作るためだったのかな。何人も座ったらしいものはもうぺちゃんこになっている。文化施設はどこも予算がなくて貧しい。もっと言えば、日本中どこも文化施設や文化的・芸術的催しは予算がなくて貧しい。アメリカでスミソニアン博物館が閉鎖になるくらいだから世界的傾向か。。 *今日のごはん すだちそば。 何年か前に行った小洒落た居酒屋で最後に出たすだちそばがスッキリさっぱりしてとてもおいしかった。先日久しぶりにその店に行ったのでまだあるか聞いてみると、いまは予約したお客にしか出していないという。 それを聞いたらますます食べたくなったので自分でつくってみる。これはつゆがいのちの品なので、気を入れてきちんと鰹節を削ってだしをとった。結果、再現度はまあまあオッケー(^^)v ついでに焼き野菜。 #
by Kcouscous
| 2025-10-15 21:26
| 食べるもん
2025年 10月 06日
![]() ![]() ![]() この楽器は有名な木琴奏者・平岡養一氏から受け継いだ1935年製のものとのことで、平岡養一はアメリカで活躍したが、戦前、仙台にも公演に来ていた。ところがちょうどその日、仙台空襲があって、平岡氏は必死で防空壕に楽器を押し込めて、自分は別の防空壕に逃げ込んだという。翌日行ってみるとあたり一面焼け野原になっていたが、楽器は無事に残っていた。「平岡さんは涙を流したそうです。その楽器を今日こうしてまた仙台に持ってきて、みなさんに聴いていただけることをとても嬉しく思います」と通崎さんは言い、会場中になんとなく暖かな空気が流れた。 #
by Kcouscous
| 2025-10-06 17:46
| あれやこれや
2025年 09月 20日
![]() *今日のごはん 数日前の「あさイチ」の料理コーナーで瀬尾幸子さんがなすと豚肉の味噌炒めをやっていたので、さっそくつくってみる。このひとの料理はシンプルで簡単でおいしいから好きだ。なすをゴロゴロ大きめに切るところが変わっている。 あとは、かぼちゃを煮ているうちにうっかりして水分がなくなっていたのであわてて火から下ろし、フォークでつぶして牛乳で伸ばしてポタージュにしたもの(残っていた枝豆入り)と、白飯を炊いてなかったので残りもののごはんにキムチと卵を加えて炒めたチャーハン。ちゃっちゃっとできる20分晩ごはん♪ あの活版印刷機はどうなったと訊かれたので、後日談を。 キットには樹脂製の小さな活字(ひらがな、カタカナ、アルファベット、罫線)が入っていて一個一個をハサミで切り離さなければならないのだが、その作業をしているうちに突然、右手の親指に激痛が走った。あっ!と思い出して即、作業を中断した。以前、ハサミを酷使してバネ指になったことがあるのだ。右手の親指を曲げると、ある一定の角度にくるとひとりでにパーンと戻って、まさにバネのような動きをする。痛くてジャムの瓶を開けることも包丁を持ったり戸を開けたりすることもできなくなったので手専門の病院に行った。レントゲン写真を撮って、左手の指はへバーデン結節、右手の親指はバネ指と言われた。指の腱鞘炎らしい。ひどい場合には手術、痛みを抑えるには腱鞘内ステロイド注射の方法があるという。「今日、注射していきますか?」と医者が立ちかけたが、その注射は大の男が涙を流すほど痛いと聞いていたので、あわてて「あ、ようすを見ます」と言って逃げ帰ってきた。 その後行った美容院でたまたまその話をすると、しょっちゅうハサミを使う植木屋と美容師・理容師はたいていバネ指になるのだという。でもテーピングして指のストレッチをすればだいじょうぶ、自分で治せますよ、と言う。その方法を書いた本があるけど、ちょうど他のお客さんに貸したばかりと言うので、あ、だいじょうぶ、と言って早速、自分で本とテープを買ってきてやってみた。すると、あーら不思議、二、三週間すると本当に治った。もちろん使い過ぎるとまた発症するのでそれにはじゅうぶん注意しなければならない。そしてテーピングというものの意味を初めて知った。テープを炎症を起こしている関節周辺に巻いて可動域を抑え、痛みを緩和するとともに、衝撃で同じ部位がまた炎症を起こすことを防ぐものなのだ。よく相撲取りがあちこちにテープを巻いているが、あれは単に怪我したところに包帯を巻いているのとは違ったのだ。 大昔、私が水泳教室でなかなか平泳ぎができなくて上のクラスに上がれなかったとき、石垣にいた友だちが「平泳ぎの本を読めばいいんだよ」と言った。本を読んで泳げるようになるのか?!と最初は鼻で笑ったが、試しに読んでその通りにやってみると、本当に泳げるようになった。つまり、しゃにむに手足をバタつかせていてもできるようになるわけはなく、どの角度でどのタイミングでどこを動かせばいいのかを本を読んで理論から知るほうが早いということだ。 以来、私は「本を読んで自分でなんとかする」という方法の絶体的信奉者だ。 #
by Kcouscous
| 2025-09-20 12:31
| 食べるもん
2025年 09月 14日
![]() 尋常ではない猛暑続きの夏もようやく翳りを見せてきたので、あわててこの夏最初で最後のかき氷を食べにいく。間に合った! たっぷりかかったコンデンスミルクの味が懐かしい。 *今日のごはん めずらしくスーパーに出ていたムール貝の酒蒸しと、今年はいつになく美味しかった枝豆。 一袋25枚入りの皮をぜんぶ使って作っていっぺんに焼いたために、てんこ盛りになった餃子。食べ過ぎじゃないのか。。 *今日の一冊 『メメント・ヴィータ』藤原新也(双葉社/2025) 『メメント・モリ』(死を想え)で一世を風靡した藤原新也の社会時評エッセイ集。大きな話題になったその本が出たとき(1983年)はバブル期の快楽時代で、人々には「死」の意識が欠落していた、しかしいまはコロナ蔓延に大震災に原発事故、世界各地で頻発する自然災害、ウクライナやパレスチナその他で起きている戦争と殺戮の風景のなかで私たちは「死の洪水」に襲われている。だから今度の本は反対の『メメント・ヴィータ』(生を想え)というタイトルにしたという。こんなときでも「この死の洪水を諦めることなく生き抜いていこう」という明るい本なのだ。表紙の絵も著者作。 藤原新也というと思い出すのはインド放浪の旅と人の死体が野良犬に食べられている写真、『東京漂流』の厳しく陰鬱な印象で、恐ろしく気難しい厳しい人と思っていたので、このエッセイ集の語りから立ち現れてくる藤原新也像にはびっくりした。人づきあいが悪いどころか、寂聴さんと30年もの親しい友だちづきあいがあり、白土三平や石牟礼道子や麻原彰晃のお兄さんやその他数々の有名・無名の人々と濃い関わりを持ち、限りなく人間に興味を持って自分から飛び込んでいく人のようなのだ。裕福な家で育ったぼんらしい面も垣間見える。冷たいみぞれ雨の降るなか訪ねてきた、孤独なセールスマンを絵に描いたような実直そうな生命保険の営業マンに何かを感じ、自分で点てたお茶を出して世間話をし、帰り際に「ふと思いついて」たまたま開催されていた自分の展覧会のパンフレットとチケットをあげるような人だとは思わなかった! そのことは、自分が仕事とする写真についての次の言葉からもよくわかる。 「……写真は外界との関係性があるということです。絵は他者との関係がなくても自分のイメージを膨らませれば描けるんですね。だけどたとえば人を撮るとそこに関係が生まれる。人間にとって他者との関係が生まれることは一つの喜びなんですね。人に限らず写真を撮るという行為で世界との関係が生まれ、それによって自らの生き方に変化が生じることも起きます。写真にはそういう醍醐味がある。」 南スーダンが大飢餓に襲われたとき、死にそうな子どもを背後から狙っているハゲワシの写真を撮ってピューリッツァー賞を受賞し、その後、写真なんか撮ってないで助けるべきだろうと世界中から非難されて自殺した若い写真家のあの作品、母親が胎児性水俣病の娘を風呂に入れているユージン・スミスのあの有名な写真についての、写真家としての考察も非常に興味深い。 #
by Kcouscous
| 2025-09-14 15:27
| 製本/本
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