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2024年 09月 06日
毎年、夏の間に一回は食べないことにはおさまらないかき氷。しかし昨今はかき氷が高級品化しているらしい。七夕近くの暑い盛りのころ、氷と書かれた旗を見つけて近づいていくと、なにやらおしゃれな店で、店頭にウェイティングリストがあって名前を書き込むようになっている。「あと二組待てば入れるから待ってみる? ごちそうするよ」と同行者は言うが、メニューを見て眼を剥いた。2700円?!! 氷の細かさが違うんだよとか、上に載ってるものが豪華なんでしょと同行者は言うが、どんなに違ったって基本は氷じゃん。ほら、隣の工事現場であんなに真っ赤な顔して働いている人たちがいるのに、そんなもの食べたらバチが当たると私は言い、結局私たちはドトールで600円のコーヒーゼリーを食べた。 上の写真は八月の終わりに昔からある老舗の甘味処で食べた宇治金時。どうやって食べていいかわからないくらい氷がいっぱいで、中にあずきがたっぷり入っている。妥当な800円という値段だったので、オプションで白玉だんごとコンデンスミルクを追加した。これで心置きなく夏を終えられる。 もうひとつの夏の風物誌。 枝豆が食べきれなかったので潰してずんだ餅をつくる。このすり鉢は確か小鹿田焼だったと思うが、小さくて膝の上に載せて気軽に擦れるので重宝している。 ずんだ餅と言えば、どのガイドブックにも載っているらしい小さな餅屋が近くにあるが、仙台名物のずんだ餅を食べるために30℃超えの炎天下にいつも恐ろしいくらいの行列ができている。しかも二郎系ラーメン屋の前に並んでいるなら納得できるような男子がけっこういる。そんなにしてまで若い男が甘い餅を食べたいのか?と驚いてしまうが、これはジェンダー的偏見です(笑)。先のふざけた氷屋にも若い男がけっこういて、にこやかに2700円のかき氷を食べていたが、つくづく情報社会だなあと思う。彼らは決してずんだ餅や2700円のかき氷を食べたいわけではなくて、情報を食べているのだ。 ちなみに、ずんだあんは枝豆を茹でて鞘から出し、薄皮を向いてすり潰し、塩ひとつまみと砂糖を加えてさらに擦ればいいだけ。炎天下で30分も並ばなくても簡単に食べられます。 そろそろ終わりのゴーヤだが、ゴーヤチャンプルーは少々食べ飽きた気がするので、ジャーマンポテトからヒントを得て、じゃがいもの細切りとゴーヤの薄切りとベーコン薄切りを炒めて塩、胡椒したら、さっぱりしておいしかった。 う〜ん、もう9月なんだからさ、そろそろ夏は終わってもいいんじゃないのか? #
by Kcouscous
| 2024-09-06 12:00
| 食べるもん
2024年 08月 24日
これがのどかでとてもよかった。「はす祭り」といってもスピーカーががなりたてたり土産物屋が並んでいるわけではなく、陽に褪せた旗が一本立っているだけで、見物客が何人か集まると小さな木船を出して蓮の間をゆっくり航行して見せてくれる。所要時間20分くらいで800円。船頭さんも乗船切符を売っている人も近所の農家の人たちが当番制でやっているそうで、それだからまるで商売っ気がない。何か聞くと、おしゃべりが際限なく続く。 そろそろ花の終わりの時期だから数が少ないのかと思ったら、数年前の洪水で80パーセントが死滅し、やっとここまで復活したが、先々週の大雨でまただいぶ水没したのだそうだ。たぶん私は睡蓮と勘違いしていて、蓮の花がこんなに丈が高くて大きいものだとは知らなかったので驚いた。花は直径20センチ以上もあって、葉は幼少期のお釈迦さまを載せられるくらい大きい。 咲き始めたばかりの花の色は透き通るように美しくすっかり魅了されたが、そういうわけで花いちめんの極楽という感じではなく、まだ時期尚早のようなので無事この世に帰還した。 * まだ死ぬには早いようなので翌日は薬をもらいにいつもの内科に行ったが、めちゃ混んでいて文庫本を半分読んでしまうくらい待たされた。しかし病院というところはいろんな人が来ていて、見ないようにしてちらちら見ていると飽きない。たとえば、ばたぱた帽子で扇ぎながら入ってきた80代後半とおぼしきおばさんは、まっすぐ冷水機の前に行って水を飲もうとしてちょっと手間取った。そのようすをじっと観察していたらしい同年代のおばさんBはすかさず寄っていって、紙コップのセットのしかたなどをこまかく指導する。「はい、ここのボタン押して。は〜〜、はいっ、オッケー!」と言うと、びっくりしてボタンから手を離したおばさんAは、「オッケー!! あー、久しぶりに外国語聞いた」と言って笑った。 そうなんだ、オッケーって外国語なんだ。言葉に対するそういう敏感さが大切なんだと思って感心した。よくわかってもいないのに、サステナブルができる町とか、コンプライアンスとエビデンスがとか、ダイバーシティがどうたら言ってんじゃないよ。 それで思い出したが、昔の小泉ソーリの息子が今度の総裁選に出るとか出ないとかいうので、彼が以前環境大臣だったか気候変動担当大臣だったかをやっていたときの記者会見の一部がニュースで流れた。気候変動問題への対応を聞かれた彼は「クールでセクシーな対応をしていく」と答えたのだ。女性記者が「セクシーな対応というのはどういう対応ですか?」と聞くと、にらみつけて「そういうことを聞くのがセクシーじゃないんだよ」と答えた。それに対して記者は「あー、なるほど」と言い、彼は「な、わかるだろう?」と言ったのである。そこで突っ込まないで引き下がる記者もダメだが、こういうまるで中身のない輩に政治などできるのか? こういう輩が気候変動担当大臣などをやっていたら蓮はどんどん水没していくんじゃないのか? というのはこじつけみたいだが、もうそういう、どうしようもない気分。暑いし。 暑気あたり、人あたりの対処に、豚肉と夏野菜の黒酢炒めで元気をつける。 #
by Kcouscous
| 2024-08-24 22:45
| 旅
2024年 08月 07日
昨日から仙台七夕まつり。中心部に出ないからわからないが、街はきっと大混雑だろう。七夕飾りも業者が作るどでかい豪華なくす玉などはあまり新鮮味がないが、狭い商店街や小さな店の前にむかしながらの素朴な手作りの七夕飾りが立てられていると、つい立ち止まってしげしげと見てしまう。このかわいい七夕飾りは、一昨日行ったミニシアターの前に飾られていたもの。 ミニシアターでは、ヴィム・ヴェンダーズ監督がドイツの芸術家アンゼルム・キーファーの作品世界を撮ったドキュメンタリーを見た。通常料金プラス300円の特殊なメガネのレンタル代を払って見る、初めての3D映画だった。自転車に乗っている人がスクリーンから飛び出してこちらに向かって走ってきたり、煙が劇場内に立ち込めるように見えたりしてそれはそれで面白かったが、アンゼルム・キーファーの作品は3Dにしなくたって美しいし、じゅうぶん迫力があると思う。 それから、ちくま文庫の棚でこんな本を見つけた。「孤独」をテーマにした有名無名(?)の作家の漫画を集めたアンソロジーで、こういうジャンルをよく知らないのだが、明らかに少女漫画とはタイプが違って、何がどうしてどうなったのか? えっ、これで終わり?!というような不条理漫画が多くて面白かった。たまたま、漫画にも詳しい友だちにその話をすると、こういうのもあるよと持ってきてくれたのが下↓の本。 『書痴まんが』に『老境まんが』ってびっくり^^。 老境まんがの解説(宮岡蓮二)が面白かった。それによると1960年代までの漫画に「老年」が入り込む余地はなかった。あったとしても「人生五十年時代」の元気なお年寄りのユーモラスな言動が描かれているだけだった。「老い」について悲哀やボケや孤独や老老介護などのテーマが漫画に現れるようになったのは八十年代に入ってからだという。うーむ。どんなジャンルでも深く入り込んでいけば、時代や世相がわかるものなんだなぁと感心。 『老境まんが』の中でも、岡野雄一『ペコロスの母に会いに行く』という作品が胸にしみたので、単行本(西日本新聞社/2012年)を古本で買う。 九州のタウン誌に時々掲載されていたのを詩人の伊藤比呂美が「発見」し、強く推して単行本として発行されたのだとか。のちには映画化もされたそうだ。 89歳の認知症の母親を62歳の息子が介護するユーモアにあふれた暖かいものがたりだ。母親のみつえさんは毎日息子が帰ってくるのを暗い駐車場で待っていて、「危なかろうが! 母親ば轢いたらシャレにならんやろが」と怒られると、「もうしぇんけん怒るなぁ」と言いながら、次の日もまた暗い駐車場で待っているというのがおかしくも切ない。 私は老母と最期まで同居していたが、母の場合は年相応のボケだったので何も困ったことはなかった。それでも私が用事や何かで出かけるとき、どこそこに行って何時ごろ帰るからねとちゃんと言っても、それがほんの一、二時間の買い物や用足しでも、帰ってくるとかならず「お帰り。遅かったね」と言っていたのが思い出されて切ない。 #
by Kcouscous
| 2024-08-07 17:35
| 製本/本
2024年 07月 29日
東北地方はまだ梅雨明け宣言が発表されていないが、先々週の土曜日、私は独自に梅雨明け宣言をした。ばらばらっと来た強いにわか雨と雷のあとに背中から吹き付けた熱風と、空の一角に急に広がった青い空ときらきら輝く雲はもう完全に夏のものだったからだ。ミンミンだってもう盛んに鳴いている。梅雨が明けたって雨は降るし、気の毒な山形や秋田地方の大雨は台風の影響だろう。 べつに誰に何の影響もあるわけではないが、こうやって私は毎年、自分の原始的な感覚で独自に梅雨明け宣言をしている。たいていの人は「またあ」という顔で笑っているが、なかにはまるっきり私を信じていて、「〇〇さん、もう梅雨は明けましたか?」と聞いてくる人もいる。いい人だなあと思う(笑) ホテルの部屋は全室海に面している。隣の部屋にはエサをくれそうな人がいるのか、それとも食事中でもあるのか、ウミネコが期待をこめた目で部屋の前から動かない。 宮城県本吉郡南三陸町は東日本大震災のとき大津波に襲われて死者600名、行方不明者200名余りを出し、町は壊滅的な被害を受けた。海岸の崖の上に立つこのホテルは上層部分は被害を免れたので、被災当日から被災者をどんどん受け入れて備蓄の食糧で炊き出しをおこない、被害のなかった部屋に寝泊まりさせた。ライフラインも途絶えるなか、様々な工夫をして結局6か月間にわたって600名を受け入れたという。翌朝チェックアウトを終えて出ると、玄関口ではテレビニュースで何度も見たそのえらい女将が、ワンピース姿で、帰る車やシャトルバスのお客に向かってにこやかに手を振っていた。 ここに来るのは初めてだったが、近いし露天風呂は気持ちいいし、新鮮なカツオのたたきや殻付きウニは食べられるし、スタッフの心意気に感じるものがあるので、また何度も来ることにしよう。 帰る途中、柳津町虚空蔵尊の古いお寺にお参りし、 登米(とよま)町の「みやぎの明治村」に寄って、重要文化財の旧登米尋常小学校の建物内部も見学した。 裁縫室には懐かしい足踏みミシンがたくさん並んでいた。 登米町は人口6000人足らずの小さな町だが、隈研吾設計の建物が二つある。一つは能舞台で、もう一つがこの登米懐古館。登米伊達家のゆかりの品々を収蔵展示している。受付の若い女性の説明によると、屋根にはこの地方特産のスレートが使われたが、産出量が足りないので町内の古い建物から不要になったものを集めて建設されたそうだ。 足元の敷石も現代美術のようで素敵だが、これは古いスレートがもったいないのでその残りの破片を埋めて作られているそうだ。 そういえば、オリンピックは個人的にはあまり興味がないのだが、今回のパリのオリンビックでは新しい競技場は一つも建設されてないのだという。水泳競技なども既存の古い建築物内部に仮設のプールを設置しておこなわれていて、設備は必要最小限で質素なものだとアナウンサーが言っていた。なるほど、時代はいまそういう方向に向かって変化しているのかもしれないと思った。再開発、再開発でどんどん古い建物や街区が壊され、巨大な新しい建築物が雨後の筍のようにつくられている東京や大阪万博みたいなのは、もう時代遅れなんじゃないだろうか。 そばも山盛り投げ入れ(笑)で、おいしゅうございました。 #
by Kcouscous
| 2024-07-29 15:47
| 旅
2024年 07月 04日
細々と50cmほどに伸びたグァバの苗木が、なんと花を付けてびっくり。小さいが南国の植物らしい華やかな花だ。石垣島の友だちが庭に成るグァバの実をたくさん送ってくれたことがあって、食べた後の種を植木鉢に埋めておいたら芽を出したもの。ひょっとしたら温暖化のせいで北国でも実が成るかも?? この実を送ってくれた古い友だちは一昨年亡くなったので、大切な思い出の木になった。 * この一か月の間にもいろいろなことがあった。相変わらずアトピーがひどかったり、朝起きたら突然あちこち激痛が走って歩行困難になり、生まれて初めての鍼を打ってもらったり、いやはやの合間にも玉置浩二とオーケストラの共演に熱狂したり、その他のコンサートや映画もたくさん見にいった。頼まれていた製本もいちおう仕上げた。 この春まで朝日新聞に連載されていた『人よ、花よ』という今村翔吾作の新聞小説を綴じたもの。560回余り続いた長い小説だったので、4分冊になった。綴じるのは簡単だが、よく毎朝忘れずにこれを切り抜いていたものだと、その根気のよさにひたすら感心した。いずれ単行本としては出るだろうが、そのときには毎回の挿絵はぜったい入らないので、そこに切り抜きをして製本する意味がある。 ページ数が多くてごつくなりそうだったので、表紙には1ミリ厚のボール紙を使って溝のない軽い仕立てにし、時代小説なのでボール紙には友禅和紙のできるだけ地味な柄を選んで貼った。 結果、和菓子か羊羹の箱みたいな雰囲気になってしまった(^^;)が、まあ、依頼者には喜んでもらえたのでよかった。 * よく行く手打ちそば屋で、「冷蔵庫に漬物入ってるからよかったら出して食べてくださーい」と言われる、粗塩だけで漬けた浅漬けがさっぱりしておいしいので、その再現も試みたし、 これは土用干しを待たずにもう食べられるそうで、「年内中に食べ切ること」と梅仕事の本に書いてあった。 以上、近況報告まで。 #
by Kcouscous
| 2024-07-04 20:36
| 製本/本
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