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2012年 05月 26日
![]() たまにつくらないと忘れてしまうので。 開けると、こんなふう。↓ ![]() 167mm× 116mm、和紙の袋綴じ。 スタンプ帳にいいかもしれない。 *今日のお昼 熊出没注意ラーメン。 意味不明だし、袋にびっしり書いてある英語がすごいが、意外にうまかった。 ![]() 2012年 05月 24日
![]() 表紙に書かれた訳者の名に引かれて、ふと手に取った今日の一冊は『まっ四角な動物絵本』(ほるぷ出版/1988)。原本は "The Square Book of Animals"(1900) この「ゆらきみよし」というのは確か四方田犬彦の先生の東大教授で、なんだか難しく複雑な人物だったはずだ。そのひとがこういう絵本を訳していて、しかもこんな軽快な訳文を書いていることに驚いた。 ![]() 挿絵の木版画がとてもいいが、このウィリアム・ニコルソンというのはかの有名な画家ベン・ニコルソンの父親で、文章のアーサー・ウォーは作家イヴリン・ウォーの父親なのだそうだ。イギリスでも二世が活躍しているんだな。 ![]() 2012年 05月 21日
2012年 05月 17日
![]() 最近、美術展を見る人たちが静かになったような気がする。あれは音声ガイドというものをイヤホンで聞いている人が増えたせいかもしれないが、この前見たセザンヌ展では久しぶりに絵の前で自由にしゃべるおばさん二人組に出会った。サント・ヴィクトワール山と木々を描いた絵の前で、片方が言うのである。 「……なんかこれ、描きかけなんじゃない?……いいの? こんなんで」 「……発想なのよ、発想」 「そっか、そっか」 これ、すごい会話じゃないだろうか。禅問答のようで奥が深いというか、わけがわからないというか。「発想なのよ」という唐突な答えに対して「そっか、そっか」と納得してしまうのもすごい。どうやら片方が絵の前で思ったことを何でも聞き、もう片方がそれにぜんぶ答えを出すという役割があるようで、「そっか、そっか」という声が行く先々で聞こえた。その「そっか、そっか」はすこし安易なような気もしたが、セザンヌを見たってどんな大家の作品を見たって、「いいの? こんなんで」と言う姿勢は大したものだと感心した。確立された名声とか世間の評判とかいうものを鵜呑みにしてはいけないのだ。何でもいっぺんは疑ってかからなければならない。いいの? こんなんで。 そういえば最近、「2012年度本屋大賞」と帯に大書された本が店頭に山積みになっていて、ものすごく売れているらしいが、あれは「いいの? こんなんで」くらいではすまない。私ははっきり言おう。あれ、ぜんぜんだめじゃん。 *今日のごはん ![]() ラフテー、というか豚の角煮と新じゃが。 泡盛がなかったので、安物の紹興酒たっぷりで煮込む。 2012年 05月 15日
![]() 春に久しぶりに会った友達に「なんか子どもの文房具みたいなものブログで見せびらかしてなかった?」と言われた。はい、見せびらかしてました。また見せびらかしてしまうが、「1600年代にドイツで作られていた鉛筆の原型を再現できるペンシルメーカー・セット!」というものを売っていたので、好奇心抑えがたく、ついふらふらと買う。 その結果、17世紀にドイツで作られていた鉛筆の原型と言われるものは四角い芯と四角い木でできていたということはわかったが、再現するといっても、すでにきっちり削られた木の溝に、すでにきっちり削られた四角い芯を載せて、添付のボンドで貼り付けるだけなのであった。もうちょっと何かさせてもよかったんじゃないだろか。 それはそうと、私は遅れてきた韓国映画ファンで、このごろやっと何本か見たばかりなのだが、韓国映画というのは明らかに娯楽大作で、社会問題を鋭く反映していながらユーモアがあり、目を覆うほど暴力的でありながら、しみじみとした哀感があり、韓国のヤクザは怖く、母親はすさまじいばかりに強く、すごく複雑だということがわかった。泣かせます、 笑わせます、ほのぼのさせます一本槍の最近の日本映画は文化的にとても弱いんじゃないだろか。 最近見た『冬の小鳥』では主人公の小さな女の子の演技に驚嘆し、同じ女の子が出てくる『アジョシ』を見てウォン・ビンという俳優に興味を覚え、その俳優が出てくる『母なる証明』を見たら、ものすごく不思議なオープニング・シーンに目を奪われた。これは主人公の母親が悲しいいやな記憶を忘れるために踊っているのであり、映画の終わりの部分とつながっていて、そこにきて初めてそのことがわかるしかけになっている。 2012年 05月 06日
![]() ホームセンターの園芸売り場の片隅に、「ジャクリーヌディプレ」と「オードリヘップバーン」の名札のある小さな鉢植えが1個ずつ売れ残っているのを発見。こんなビッグ・ネームが並んでいるとはなんてゴージャス!と感心して即買い占めた。どちらも598円というのが冒瀆的なカンジ。 両方とも咲くかどうか大いに危ぶまれるごく小さな蕾が付いていたが、数日たってまだ植え替える間もないうちにちゃんと花開いた。ジャクリーヌ・デュプレ(のことでしょう)はこんなの↓。 ![]() そしてこれが↓オードリー・ヘップバーン(のことでしょう)。そのモデルのイメージどおり、クラシックで上品な雰囲気。 ![]() ヘップバーンといえば、ヘボン式ローマ字の「ヘボン」と同じ綴り(Hepburn)だと知ったときは驚きだった(って、前にも書いたっけ?)。リーバイスのジーンズを初めて履いて、後ろポケットのパッチの上に刻印されたブランド名がレヴィ・ストロース(Levi-Strauss)と同じと知ったときも衝撃的だったが、まあこれは英語読みとフランス語読みの違いだから当然として、外国語を日本語表記するとき、綴りからカタカナ化した時代より、耳から入った音をカタカナ化した時代のほうが、より原語に近かったということかもしれない。 そういえば日系カナダ人のお年寄りを何人か知っていたが、そのひとたちがくれる手紙には「送ってくれた○○をケッチンに飾った」とか「ベースマンに玉突き台を入れて楽しんでいる」とか「近くのシャップで買った」とか書かれていて面白かった。もう亡くなったひとが多いが、戦前に移住して、おそらく耳から英語を覚えたのだろう。 2012年 04月 28日
2012年 04月 25日
![]() 昨日は急に気温が上がって桜が一気に花開いた。桜と白木蓮と黄色いレンギョウが市内のあちこちで咲き誇っていて華やかだ。今日もいい天気。 しだれ桜が開き切ってしまわないうちに、急いでこの寒かった冬のオトシマエをつけるというか、ずるずると引っ張られていた冷え冷え本の総括をしてしまおう。 椎名誠『シベリア追跡』(集英社文庫)は、↓下の『マイナス50℃の世界』で米原万里が同行した同じシベリアの旅を書いたもの。同じときに同じ場所にいても、書く人によってずいぶん印象がちがうんだなあと思って面白かった。金平茂紀が米原万里を同志として扱ったのに対して、極寒の地を2か月もいっしょに旅していながら、ここでは彼女の名は2度しか出てこない。旅のメンバーの名の紹介のときと、ロシア人が何かもめているときにちょうど通訳の米原さんが通りかかったので聞いてもらった、という記述だけだ。椎名誠のほかの本と同様、基本的におとなになった少年たちの愉快な探検旅行で、その悪ガキ仲間のグループに女はいらないのだ。表紙の装幀(平野甲賀)がすてき。 この中央の絵の左に描かれているのが伊勢漂民の大黒屋光太夫で、10年後に日本に帰り着いた2名からの聞き書き『北槎聞略』に入っているそう。この資料を小説にしたのが写真左の井上靖『おろしや国酔夢譚』(文春文庫)で、これがめっぽう面白い。なにしろあの鎖国時代にカムチャッカから極寒のシベリアを横断してロシアの西端ペテルブルグまで行き、エカテリーナ女帝に謁見して江戸に帰ってきた日本人がいるのだ。 これは映画化もされていた。レンタルDVDを偶然発見。大黒屋光太夫を緒形拳、凍傷で片足を失い、キリスト教に改宗して、いざ帰れるというときになってもキリシタン御法度の日本に帰ることができず、望郷の念やまず号泣しながらロシアに残る庄蔵を、西田敏行が演じている。緒形拳はもともと前進座にいてチャンバラ劇をやっていたと思うが、妙にバタ臭いところがある。なにか思案するときに、両手を軽く組み合わせ、両方の人差し指を立てて唇に当てるしぐさが、どうも江戸時代の廻船の日本人船頭には見えなくて面白かった。 2012年 04月 20日
![]() 手に突き刺さる刺の痛みをこらえながら蕁麻の葉を摘み、糸にして編んだ。 この蕁麻のセーターは、鳥に投げかけても鳥はただ驚いて飛び去っていくだけだが、人間に投げかけると、その人の本性が現れるのである……っと。 あ、これ、来年のエイプリル・フールに使えばよかったな。 ひところ、このあたりのブログ・サークルで半永久的に仕上がらない作品の「つくりかけ自慢」というのが流行ったが、これは確実にそのひとつになりそうなもの。最近はこういうことをすると肩がばりばりに凝り、腰痛が起きて夜も寝られなくなり、指が腫れて痛むようになった。 私の母はヘバーデン結節で、指の関節が腫れてかなり長い間苦しんでいた。やがて関節が変形して固まると痛みはおさまるのだが、遺伝的なものがあるようだと言っていった。たぶん私もそれを受け継いでいるのだろう。かつては観音様のような手と言われたものだが(爆)、やがては白雪姫の魔法使いのおばあさんのような手になるのだろう。ヒヒヒ、このりんごをお食べ。そうなったら本当に何もつくらないひとになるかもしれないし、あるいはそのときどきにつくれるものをつくっていくかもしれないし、そのまえに日本は滅亡するかもしれないから、あまり心配はしていない。 2012年 04月 13日
![]() 『東北の原始布と古代織り』という展覧会を見た。シナ織りやからむし織り、藤蔓のかごなどは見たことがあったが、ぜんまい織りやイラクサ織りなど、初めて見るものもあった。ぜんまいは、あのくるくる巻きの先っぽについている茶色い綿毛を紡いで、着尺や帯を織るのだという。雪に閉ざされた長い冬の作業とはいえ、気が遠くなるようなしごとだ。堅い木の皮や刺だらけの茎をはいで糸にするのは、文字どおり血と汗と涙の作業だろう。 カタログに実物の糸がついていて種類を選べるので、初めて見る蕁麻を選んだ。「イラクサって、あのシンデレラだったか白雪姫だったかの……」と言いかけたら、受付にいた主催者関係者が「そうそう、これを編んで白鳥のお兄さんたちに投げかけるんですよね」と言った。あ、そうじゃった。あれは白鳥の王子だったかいらくさ姫だったか、刑場に引かれていく途中でようやく11枚目の蕁麻の衣を編み終えて呪いを解く、アンデルセンの物語だった。シンデレラも白雪姫もぜんぜん関係ないのに、相手の無知をさらりとかわして正しい知識へと導いていく「そうそう」にいたく感心した。 初めて見たと思ったが、これは春先に出てくる「アイコ」という山菜と同じものなのだそうだ。今日の学習。
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